再び、扉の前で
秋の海風を受けながら並んで歩く。
港町の喧騒が遠ざかるほど、足元の砂利道が静けさを増していく。
セレンは波打ち際へ寄ってみたり、小さな岩を飛び越えたり、まるで“この先にまだ続きがある”と知っている足取りだった。
さて、続きを歩こうか。
セレンは軽くしっぽを揺らして振り返り、ひと呼吸遅れて横に並ぶ。
その何気ない動作に、“ここで区切りではない”という確かな温度がある。
帰るって言葉より、
戻るってほうが似合うよね。
やわらかい会話のあと、心の奥で一枚だけ景色がめくれる——


ふいに、始まりの方向へ意識が向く。
ここから旅はゆっくりと深度を変えていったのだと思うと、いま触れている風も、少しだけ別の匂いをまとって感じられる。
……ここまで来たこと自体、
もう答えだったのかもね。
気づく順番は、人それぞれ。
歩みを止めた瞬間、しっぽの先が陽を受けて虹を滲ませた。説明よりも先に、光だけが静かに胸へ落ちてくる。


能生をあとにし、車はゆっくり内陸へ入っていく。窓の外に連なる景色は同じ道のはずなのに、一巡りしてきた余韻を帯びて見える。セレンは静かなまなざしで前を向きながら、ふっと笑う。
導かれた旅ってさ、
後から気がつく
ものなんだよね。
その言葉をかみしめるように、ふと脳裏にあの光景が浮かぶ——


やがて、道路標識に「筒石」の文字が現れる。
地の底に沈む入口がまた近づいてくるのに、胸の奥は静かで揺るぎない。
いまようやく、自分がこの場所へ戻ってきた意味を輪郭で捉え始めている。
最初から、ここへ
“導かれてた”んじゃない?
答えってね、急ぐほど
遠ざかるものなんだよ。
否定ではなく、肯定でもなく——
ただ、余白の中にだけ真実が置かれる瞬間。
ふと隣で、誰かの言葉が蘇る。
糸魚川の“もぐる駅”もいいけどさ、
十日町にももうひとつあるんだよ。
それは説明ではなく、ただの“案内”。けれどいま聞けば、それは次の扉の鍵に見える。
…じゃあ、まだ道は
続くってことだね。
当たり前でしょ。
ここは終わりじゃないから。
筒石の駅舎までは、あと少し。
境界線のすぐ手前——旅の“結び目”へ触れたところで立ち止まる。深呼吸の先にある暗がりは、次の物語への入り口。


秋の旅は一区切り。
けれどそれは終点ではなく、
次の扉へ向かう、ほんの手前。










