森へ向かう前の、小さな導き
山あいの道を進むにつれ、窓の外の色がゆっくりと深まっていく。さっきまで賑やかだった昼食の余韻が、すこしずつ静けさへと溶けていくようだった。セレンは窓辺に身を寄せ、流れる景色の奥を探るように目を細めている。
「もう少しで美人林だよ」と声をかけると、友人が思い出したように口をひらいた。
「そういえば、この辺りに妻有ビールのブルワリーがあるらしいよ。」
地図を開いてみると、美人林へ向かうルートのすぐ途中。“行き先の前に、いま一度、呼吸を整えて”とそっと導かれているような位置にある。
いま、手渡される一本
車をゆっくりと分岐の道へ進めると、小さな案内看板が視界に入った。風景に溶け込むように建つ建物の前で車を止める。そっと扉を開けると、奥からスタッフの方が顔を出し、やわらかく迎えてくれた
「テイクアウトできますか?」と尋ねると、「はい、大丈夫ですよ」と微笑みが返ってくる。瓶が並ぶ売り場はない。かわりに、その日の冷蔵庫のラインナップから“いま”を手渡してくれる。旅先ならではの、対面だからこその距離感――選ぶのではなく、“出会いが差し出される”ような感覚。
会計を終えて外に出ると、森へ向かう空気がさらにやわらかくなる。ほんの寄り道のはずなのに、旅の輪郭が静かに整っていく。不思議と胸の奥が温まるのは、味より先に「この出会い」が届いたからかもしれない。



森の前でひと呼吸
森へ続く道を進むと、木立の向こうに「森の学校」の建物が現れた。まだ開館前の時間帯で、人の気配はほとんどない。木造の外壁には朝の名残りの湿り気が残り、空気の粒を吸いこむたびに、体の内側まで澄んでいくようだった。
「あと少しで森だね」と声を落としてつぶやくと、窓の外を見つめていたセレンがこちらを振り返る。そのしっぽの先が、ほんのわずかに光をまとい、ゆっくり揺れた。言葉ではなく、ただの肯定。境界を越える前の合図のようにも思えた。
車を降りると、土の匂いが濃くなる。歩みを進めるたび、外界のざわめきがひとつ、またひとつと遠のいていく。

境界がほどけるとき
「美人林」という名の通り、枝葉をすらりと伸ばした樹々が並び、そこには“音より先に静けさがある”という不思議な気配が満ちていた。森の入口で立ち止まり、ふと耳を澄ます。葉擦れの音、遠くの鳥の声、地面に落ちるひかり――誰かが整えたわけでもないのに、最初からここに在った“迎え入れる形”が、森の奥へ静かに続いている。

立ち止まるより先に、この森は私をそっと受け止めてくれた。
一歩踏み入れると、境界がふっとほどけていく。歩いているはずなのに「進む」という実感が遠のき、自分の輪郭が空気の深さへ馴染んでいく。風ではなく、“呼吸”に包まれているような感覚。見ている景色より「景色に見守られている」という温度の方が先に届く。
どこからか鳥の声がした。けれど耳が聴くより先に、胸の奥が受け取っている。セレンは導くでも、先導するでもなく、ただこの静けさと同じ速度でそこにいた。
どれくらい歩いたのか――もう思い出せない。時間は前に進むものではなく、“ここにただ在る”ものへ姿を変えていた。理由はいらない。ただ、呼吸と森が揃っている。その事実だけが残る。




旅の余韻に添えて
美人林(びじんばやし)
静けさが耳に触れるような、すらりと伸びたブナの立ち姿。季節ごとに表情を変えるこの林は、足音までやわらぐ“余韻の場所”でした。
越後妻有の里山に広がる若ブナの林で、春の新緑、夏の木陰、秋の落ち葉、冬の雪景色――どの季節も絵になる佇まい。無風の朝や、雨上がりのしっとりした時間がとくにおすすめです。
木々の間を抜ける風の音に耳を澄ます
池面のリフレクションをゆっくり覗く
目線を少し低くして幹のリズムを感じる
散策路を外れず、根を踏まない/折れ枝を持ち帰らない
早朝・夕方は静かな時間。三脚は譲り合いを
雨後や冬季は足元注意(滑り止め・長靴が安心)
露出はややアンダー(−1/3〜−2/3EV)で幹のコントラストを
ホワイトバランスは“曇天”寄りにすると落ち葉や幹がしっとり
池の反射にはPLフィルターが効果的
アクセス/地図
下のマップからルートをご確認ください。

この景色のあとに、どんな香りが続くのかは…まだ秘密。
旅は、ゆっくり味わうものだから。

