
セレンを可愛がってくれたおばあちゃんを見送り、少しだけ慌ただしかった日々も、ようやく落ち着いていた。気づけば、いつもの静かな朝が戻ってきている。
そしてその日はちょうど、セレンの10歳の誕生日だった。やわらかな朝の光が、リビングへそっと差し込む。ソファの上で丸くなっていたセレンは、ゆっくりと目を開けた。
……今日は、何かが違う気がする
見慣れたはずの部屋。いつもと同じ景色のはずなのに、胸の奥だけが少しそわそわしていた。ふと視線を向けると、窓がわずかに開いている。カーテンを揺らす風はやさしく、外の空気を静かに運んできていた。
今日こそ……
外へ行ってみようかな
小さく息を吸って、セレンはそっと外へ降り立った。足元をすり抜ける風。土の匂い。遠くから聞こえる鳥の声。知らない景色ばかりなのに、不思議と怖くはなかった。むしろ、胸の奥が少しだけ弾んでいた。



おやおや
突然聞こえた声に、セレンはぴくりと耳を動かした。振り返ると、少し離れた場所に年長の猫が座っている。どこか穏やかな空気をまとった猫だった。



いつも窓から外を見ていた
子じゃないか
こんにちは……
少し警戒しながらも、セレンは小さく頭を下げた。猫Aはそんな様子を見ながら、ゆっくり目を細める。外の世界は広く、楽しいことも多い。でも、それだけではないことを知っている―そんな目だった。



「外は楽しいよ。
……でも、気をつけな
その言葉に、セレンは自分のしっぽを小さく揺らした。怖くないわけではない。でも、今はそれ以上に“知らない世界を見てみたい”気持ちのほうが強かった。
もう少しだけ……
歩いてみたいの



そうかい
その猫は立ち上がると、ふとセレンのしっぽへ目を向けた。



……それにしても、
いいカギしっぽしてるねぇ
カギしっぽ?
セレンは、自分の虹色のしっぽを見つめた。少し曲がったそのしっぽは、昔からあまり好きではなかった。不便だし、ほかの猫と違う気がしていたから。けれど猫Aは、どこか懐かしそうに笑う。



昔ね、“カギしっぽは
幸運を引っかける”なんて話を
聞いたことがあるんだ
幸運……?



この先の空き地に、
物知りな猫がいてね。
そういう話が好きな
おばちゃんさ
もし気になるなら、
会ってみるといい
その言葉に、セレンの胸は小さく高鳴った。
……うん、行ってみたい!
雑草が風に揺れ、鳥の声が遠くで重なる。まるで何かに導かれるように、セレンはその空き地へ向かった。茂みの奥では、ふくよかな猫が気持ちよさそうに昼寝をしている。



おばちゃん、ひさしぶり!
猫Aはどこか親しげに声をかける。「前にカギしっぽの話、してただろ。ちょっとこの子のしっぽ、見てやってくれない?」突然の来客に、ふくよかな猫――猫Bはゆっくり目を開けた。



なんだい、急に来たと
思ったらお願い事かい
少し呆れたように言いながらも、その目はどこかやさしい。



……まあ、
話くらいならしてやれるよ
こんにちは……
セレンは少し緊張しながら、しっぽをそっと揺らした。ほんの少し前までは、気にも留めていなかった自分のカギしっぽ。けれど今は、そのしっぽの話をもっと知りたいと思っている。それは偶然のようでいて、どこか運命めいた出会いだった。そしてこの日から、セレンの世界は静かに、でも確かに動きはじめた―(②に続く)





